すり鉢すり鉢

ふんふん

日記3/21

あれ?もしかして一度も連続して日記を書いていないかも。 今日は15時頃に起床した。起きたときからなんだか朗らかな天気の予感がし、こういう日に外出できなければもう引きこもりになるしか無い気がしてSHIROBAKOを見に行くことにした。池袋の映画館のチケットをとったのだが、上演一時間前だというのに最後列ド真ん中の一番人気な席が空いておりコロナの影響を感じた。上映まで少し時間があったので池袋の舎鈴という六厘舎の系列店でつけ麺大盛りを食べた。池袋や新宿のような地価が高い地域の麺類は並盛では麺量が少なすぎることが多いので大盛りにしたのだがキッチンをみると麺大盛り660gと書かれており真顔になった。まあ美味しかったのだが流石に量が多すぎ、100gほど残してしまった。 f:id:ssklv:20200322013050j:plain

SHIROBAKOは劇場版でやる話があるのだろうかと疑問だったが楽しめる作品だった。あの話で武蔵野アニメーション自体の趨勢について考えるのは本質ではなく、宮森の心情そのものに注目すべきなのだろうが僕はあの話から挫折・立ち直りの成長過程としてあの映画特有のものは感じ取れなかったものの、挫折からの成長・自信と覚悟の物語はいろいろな分野で繰り返し語られてきた普遍的なテーマで、何度見ても考えさせられてしまう。その普遍的なテーマはどれだけ似た物語で描かれても見る側が歳を取るたびに発見することが増えていく。そういった意味で自分が今このときにこの映画を見る価値は十分にあった。しかし現実だとあのあとどうなってしまうんだろうね、人の絆はあっても会社は傾き多くの人は去ってしまい、宮森がいくらやる気があっても4年前を思い出して泣けてきてしまうのではないか、そうなった時にどうやって自分を奮い立たせるのだろう、劇場でやったような方法をずっと続けて行くのだろうかと映画では決して描かれない暗い未来を妄想してしまった。僕は好きな作品の暗い未来を考えてしまう癖があるな、悲観主義者だからね。