すり鉢すり鉢

ふんふん

日記3/4

振り返ってみると小学生の頃から日記というものをまともに書いたことがなかった。だから知らなかったんだけど、日記は別に毎日やったこと・起こったことについて書かなくてもいいのね。自分が書いてこなかったのもあるし、自分がフォローしている人やブログでほとんど日記が書かれないからそんなことさえ知らずに過ごしていた。
大学生っていうのは友達と飲み歩いたりオタクイベントに出たりして外で人と会って交流していくものらしいけど、自分には絶対無理だ。他人の視線が(友人でも)存在するとそれだけで気が休まらない。家に友達を呼びたくもないし、友達の家でも長くはいたくない。そんな僕だから中学、高校、大学の知り合いとは殆ど友好関係が続かない。授業やらで顔を合わせる機会がないとすぐに関係が消失してしまうのだ。僕には対して魅力もないから、相手から誘われたり関係の継続を望まれることがないのもある。
そんな僕でも親友やゲーム仲間ができるのはひとえにネットの発達のおかげだろう。discordやline通話が当たり前になってくれたおかげで会わなくても会話ができる。会わないおかげで相手の視線や存在を気にしなくてよいし、服装だってパジャマで髪はボサボサでいいのだ。それでも、飲み会や外出を楽しんでいるオタクを見ると羨ましい。青春を過ごさずに青春時代に囚われているオタクを青春ゾンビなんて呼ぶらしいけど、まさしく自分がそれだと思う。自分で体験したら絶対面倒になるのに、それ自体を楽しめているその様子が羨ましくてしょうがない。矛盾していて、どうやっても解消できないのが無様だよね。僕は自分以外の誰かになりたいんだと思う。感受性が死んでいて、物事を楽しむハードルが著しく高い太った醜い自分を捨てて、物語の登場人物そのものになりたいのだと思う。皮肉なことに物語をやっている人間は物語を読んでいないんだよね。